2010年2月14日日曜日

bcc

電子メールにbccという機能があります。
もともとは、black carbon copyだったと思うのですが、ほかの人に知られずにこっそり回覧する場合に使います。

bccを使うケースで、前向きな場合はあまりないように思います。
また、bccでメールを受け取った人も、「この送信人は、ほかのときには自分が知らないところで、自分に関連したことをbccで誰かに送っているかもしれない」と疑心暗鬼になります。

送信先に知られずに回覧する場合、いったん送ったメールそのものを、回覧したい人に転送するのがベストではないでしょうか。

コミュニケーションは、人間の心理の上に成り立っているので、そうした配慮も大切なように思います。
いったん生じた不信感は、なかなか払拭できないものですから。

2009年12月19日土曜日

【奇人列伝】 ブルドッグGS

GS氏は、A社の1990年代の驚異的成長を牽引したリーダーで、ブルドッグと呼ばれていました。
パートナーミーティングで迂闊な質問をすると彼に"Stupid question!"と切り捨てられるとか、自分の移動用にプライベートジェットを要求したとか、いろいろ言われていました。
当時のA社は、兄弟会社のAA社との確執が続き、彼にはいろいろなことがあったのだろうと推察します。
ある朝、会社のボイスメール(当時はOCTELと呼ばれるボイスメールシステムが電子メールよりも活用されていました)をチェックすると、「ハイ!GSです。私はA社をやめました。・・・」というメッセージが入っていてビックリ!
「やめます」ではなく、「やめた」とは!
彼は、100億ともいわれる株式インセンティブをもらってインターネットベンチャーのCEOになり、その会社がつぶれた後には、CRM大手のCEOになりました。 その会社も買収され、その後は一線を離れています。
いろいろ言われていましたが、私にとっては強烈なカリスマ性を感じる、偉大なるプロフェッショナルサービス会社の偉大なるリーダーでした。

その後、A社が兄弟会社からの離別に成功し、株式公開したころのパートナーミーティングに、スペシャルゲストとして彼が招かれました。
数千人のパートナーの満場の拍手の中、彼らしい簡潔ながらも力強いスピーチをし、「Keep me proud.」と締めくくりました。
かっこよすぎます。

やはり、GS氏は心の中の永遠のリーダーでした。

2009年12月13日日曜日

コンサルタントの罠

コンサルティングという仕事は、知的にエキサイティングで、ビジネスにインパクトをもたらし、自己の充足感も得られる仕事だと思っています。
クライアントのため、チームのため、ファームの成長のため、日々なにかしらの成果を出し、前進しようとする意思と努力によって、大きな対価が得られます。

一方で、コンサルタントには罠が待ち構えています。
それは、芸者コンサルタント・太鼓持ちコンサルタントになりさがってしまうという罠です。

成果を出し続けること、クライアントにサービスを売り、デリバーすることは、一面ではハードなことです。
いったんクライアントの信認を得ると、クライアントの側にいて助さん格さんになり、「このご印籠が見えぬか?」とやっているだけでフィーがもらえれば楽なことこの上ありません。

自省も含め、そのようなコンサルタントを複数見てきて、悲しい気持ちになるとともに、コンサルティング業界の発展を阻害する大きな要因だと感じます。

芸者や太鼓持ちになるほうもどうかと思いますが、それでいい気になっているユーザーも、あわれな気がします。
ノンバンクの仕事をしていたとき、CIOが「俺はコンサルタントは芸者だと思っているから信用しない」と豪語し、その隣に彼のお抱えの芸者コンサルタント氏がニコニコしながら黙って座っていた光景が、私の原風景です。

2009年12月12日土曜日

Out-of-box

いきづまったとき、よく Out-of-box thinking で、と言います。
「箱の外」すなわち枠にとらわれない、型にはまらない、独創的な、というような意味で用います。

他人と同じではつまらないし、箱の中では窮屈。
生き方もOut-of-boxでいきたいものですね。

2009年12月6日日曜日

ハードワークと成長

労働時間をどう考えるかは、難しい問題です。
コンサルティングの仕事を例にとれば、やればやるほどキリがありません。
報告会の前に徹夜続きなど、当たり前です。
大規模システムの移行作業に従事していた時は、ピーク時に週に1度ぐらいしか帰宅しませんでした。

マネジメントは、異常な働き方をなくそう!と掛け声をかけます。
9 to 9 運動とかいって、せめて朝9時から夜9時で仕事を終えるようにしよう、というのもありました。
実際には、9 to 翌朝の9 などと笑えない話もありました。

おそらくハードワークで、朝布団の中で脳出血で亡くなった若者もいました。
体力的に不利な女性は、体調をこわしてやめていったり、バックオフィスに移りました。
産業医の先生は、精神的にまいらないようにさかんに啓もう活動を行いました。

一方で、ある時期に根をつめて取り組むことで、飛躍的に成長することもあると思います。
この状態は、けっこう恍惚感のある状態です。
それを紋切的に「仕事はここまで!」といってやめさせるのも違和感があります。

肉体と精神の限界に近いことを示す警告灯のようなものがあれば、否応なしにストップできるのでしょうが、そうもいきません。
自分にとっては永遠の課題です。

2009年12月5日土曜日

ふるさと

A社のときに一緒に働いたりした人たちの飲み会に呼ばれました。
15年ぶりぐらいに会った人も何人かいて、幸せなひとときを過ごしました。

15年ぶりに会っても、いまこの瞬間にも同じプロジェクトでやっているような感覚。
きっと自分にとってのふるさとだからなのでしょう。

A社では、よく「ふるさとジョブ」といっていました。
新人としてはじめに配属されるジョブ(プロジェクト)。
右も左もわからないので、四苦八苦し、上司にしごかれ、ハードワークし、クライアントに鍛えられ・・・。
まるで軍隊ですが、ラーニングカーブは急上昇、同じ苦労をした仲間とは格別の関係です。
その後、いろいろなプロジェクトもしくは会社に巣立っていくわけですが、困難があってもふるさとジョブの苦労を思うと自然に乗り越えられたりします。

会社にしても、ふるさと会社という感覚です。
キャリアの最初の会社。
ここで、どれだけ鍛えられ、苦労し、成長し、仲間をつくるか。
ふるさと会社に恵まれるか、また自分で恵まれたと言える状況をつくるか。
プロフェッショナルの人生は、ふるさと会社によって大きく変わるように思います。

私自身は、A社というふるさと会社に、ただただ感謝あるのみです。

2009年10月10日土曜日

人が育たない日本?

先日、あるクライアントに、「優秀な幹部を採用したいが、期待像が高まる一方で、期待にこたえる人が増えていないのではないか?キャリアを高めようと努力する意識がうすれているのではないか?」という問題提起を受けました。

これは当たっていると思います。
外資系をみれば、1980年代から1990年代は、日本がアジアの中心であり、ITや金融の革新などによって多くの変化が生まれ、また社員の教育に力を入れるグローバル企業も数多くありました。
ちょっと思い出すだけでも、GE、IBM、P&G、会計事務所およびそのコンサルティング部門などが頭に浮かびます。
いまはといえば、日本は無視される規模になっています。
グローバルの売上比で日本が4-5%はざら、1-2%というところもあります。
ローカルの権限もどんどんとりあげられていき、アジアの本社も香港やシンガポールにおかれ、日本のマネジメントといってもあちらこちらに報告しながら箸のあげおろしまでコントロールされる体たらくです。

これでは人は育たない。
外的なダイナミズムがないのですから、個人がよほどしっかりと意識して、よいメンターをもち、努力しない限り、野心ぎらぎらの中国人やインド人などに秒殺されます。

個人がどれだけ積極的精神をもてるか。また、その精神をどれだけ応援できるか。
そこに活路を見出したいと思う次第です。

2009年9月21日月曜日

【奇人列伝】 ハイルKHF

A社は、担当の業界ごとに別会社かと思うほど、それぞれがグローバルにタテ割でした。
私は金融グループにいたのですが、そのグローバルヘッドは、アメリカ人→ドイツ人→イギリス人→フランス人とバトンタッチされていき、世界の覇権争いの歴史を連想したものです。

ドイツ人KHF氏は、なかなかのやり手で、長く学生をした後に30歳手前で入社し、めざましい出世をとげました。
冷酷というわけではないのですが、ドイツ人らしいカッチリとしたマネジメントで、英語も流暢ではないものの力強い演説で、彼の話を聞くとつい「ハイル ヒ○ラー!」ならぬ「ハイルKHF!」とつぶやいてしまうのでした。
彼の本拠地がフランクフルトなので、中枢メンバーもフランクフルトに駐在していて、聞くとアメリカ人もドイツではドイツ語を話すことを強要されていたとのこと。
さすがです。

彼の言葉で忘れられないのは、"We cannot work harder, but we can work smarter."というものです。
奇人というわけではないのですが、印象深いリーダーでした。

2009年9月20日日曜日

2009.9.17 日経 朝刊

苦しみぬいて何かをつかんだ人の言葉は、重いですね。

1.スポーツ面の豊田泰光氏(野球評論家)のコラム

「人間、体で覚えるという以上の確実な教育があるだろうか、と思う」
飢えの体験があるから、白いご飯のありがたみを忘れない。
胃袋の記憶は、いつまでも薄れない。
「負けて野球を知り、飢えて食を知った。
人間は理性の生き物だというが、結局は痛みが一番の師匠なのかなあ、と思うことがある。」

2.経営者に聞く-永守重信氏(日本電産社長)

今年1-3月期の赤字が判明し、「夜中に何度も目が覚めるほど苦しんだ」とのこと。
その後の生産性改善活動によって、いまでもリーマンショックに「感謝したいぐらいだ」。


どちらも、超一流の「プロ」ですが、その強さの源泉は、苦しみをチャンスととらえられるポジティブな精神でしょう。
私も、夜中に目覚める悩みを味わうことがありますが、長い目で見たときにそれに感謝できるようにしたいものです。

2009年9月6日日曜日

【奇人列伝】 EA女史のキャリアアップ?

若手社員にとって、幹部のEA(Executive Assistant)は、けっこう気を使う存在です。
忙しいボスの時間の隙間を教えてくれたりsるチームスピリットのある人もいれば、ボスのゲートキーパーみたいになっている人や、「私に声をかけないで!」みたいな人まで、いろいろです。

AS女史は、当時若手の私から見ると、後者の部類に入る人でした。
ボスとのランチオンミーティングも、ボスのランチボックスは用意するけれどもあなたは自分で買ってきなさいと言うような人です。

しかしながら、AS女史は、着実に社内でつきあう相手をキャリアアップ(ランクアップ)していき、ついにエクスパットの外人COOとめでたく(?)結ばれました。
日本に連れてきた奥さんと別れて、恋の道が成就しました。
このCOO氏は、社内の嫌われ者で私もいぎたない口論をしてしまった相手ですが、なんとその後は競合会社の社長に転出・・・。
そして、その競合会社はつぶれました。

キャリアアップとして、まことに天晴れですが、やっぱり変???